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宮崎凖之助 展

会期|2023年6⽉25⽇(日) - 8⽉27⽇(日)

時間|13:00 - 18:00(7⽉4⽇から土曜のみオープン、その他の曜日は完全予約制)

休廊|月曜 (7月21日- 24日 は臨時休廊のため予約受付不可)

⼊場|無料

協⼒|くすの舎、Gallery MORYTA、YANAGI STUDIO

 

- オープニング・レセプション

6⽉25⽇(日)  10:00 - 13:00 プレビュー(VIP、プレスのみ参加可能)

13:00 - 18:00 オープニングレセプション

14:00 - 15:00 トークイベント

川浪千鶴(元 福岡県立美術館学芸課長)×柳幸典(美術家/本展企画)

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105MaGALLERYは、6⽉25⽇(日)から8⽉27⽇(日)まで「宮崎凖之助」展を開催いたします。

宮崎は1930年福岡県早良郡脇山村(現・福岡市)に生まれ、1956年から北九州市に居住し、県立小倉聾学校等で美術教員を務めながら前衛美術集団「九州派」に参加。九州派解散以降も、芸術を生活者の視点でとらえるという思想を展開させた木彫作品を制作しました。「九州派」の作品は作家の経済的事情などの理由もあり残存数が少なく、現存する宮崎の木彫作品は極めて貴重です。そんな宮崎が長年に渡りアトリエを構えていた小倉の地で、宮崎の遠縁である美術家・柳幸典が本展を企画しました。

- 宮崎凖之助(1930 ― 1989)

1930 福岡県早良郡脇山村(現・福岡市)に生まれる。
1952 京都学芸大学(現・京都教育大学) 特修美術科専攻
1956 福岡県立小倉聾学校の美術教員となり、 以後北九州市に在住。
1957 九州派に参加し、1968年頃まで反芸術運動に携わる。
1962 英雄たちの大集会 (百道海水浴場・福岡市)にて砂浜で黙々と穴を掘るハプニングを行う。
1966 木を使った作品による初個展 (スルガ台画廊・東
京)を開催。
1980 美術教員を退職。
1982 個展 (福岡県文化会館)。
1986 宮崎準之助展「くすぐるま」 (INAXギャラリー2・東京/企画:中原佑介)
1988 「九州派展-反芸術プロジェクト」 (福岡市美術館)
1989 北九州市営住宅エントランスホールのレリーフ完成後、胃ガンのため死去。 享年59歳。
1998 初回顧展「宮崎準之助-くすだまとくすぐるまの庭から」 (福岡県立美術館) 開催。

 

- 九州派について

1950年代から60年代の日本では、「ネオ・ダダ」、「具体美術協会」などを筆頭とした多種多様な美術運動が登場し、その中でもとりわけ異彩を放ったのが1957年に福岡市で結成された「九州派」です。桜井孝身、オチオサムらを中心に結成された「九州派」は、生活者の視点からの美術表現や人々の生活に根ざした活動姿勢を持ち、「作家」であると問時に「生活者(労働者)」 であるという意識が強くありました。しかし、時代の変化を受けて1968年に九州派は解散。以降、現存する作品や記録が乏しかったことから1970年代の福岡では伝説と化していましたが、1988年に福岡市美術館で開催された「九州派展-反芸術プロジェクト」 によってその実像が捉えられ、戦後の日本美術に足跡を残しました。そして2015年に同館編集で「九州派大全」(福岡市文化芸術振興財団発行)が刊行されたことで、あらためて九州派への注目が高まっています。

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